Jacob Camille Pissarro(ジャコブ・カミーユ・ピサロ)1830年7月10日~1903年11月13日、セント・トーマス島(サン=トマ)島生まれ。19世紀フランスの印象派の画家。印象派という名前の由来となった1874年の第1回展からグループとして最後の第8回展(1886年)まで、毎回参加しており、計8回の印象派展に欠かさず出品した、ただ一人の画家である。印象派の画家のなかでは最年長者であったピサロは温厚な性格だったようで、画家仲間の信望が厚く、ゴッホやセザンヌらの若い世代の画家を大いに励ましていたという。生来気難しく、人付き合いの悪かったセザンヌさえもピサロを師と仰ぎ、しばしば共同制作をし、マティスとはしばしば印象主義について熱心に討論した。晩年はパリ郊外のエラニーに住み、風景だけでなくピョートル・クロポトキンらのアナキズムの影響を受け、農村を舞台にした人物画を多く描くようになった。生涯残した油彩画作品は1316点、版画は200点余り。ポントワーズには彼の名を冠した美術館が建てられている。